フェアトレード商品と聞いてみなさんはどういったイメージがあるだろうか?
先日、懇意にしている熊本のフェアトレードショップに行ってチャイティーを購入した。
これが非常に美味しい。
ケチな私でも毎回購入している。
Chai

さて、今でこそフェアトレード運動に関わっている私だけれども、かつてはフェアトレードにも関心がなかった。
おそらく、このブログをみている多くの人にとってのフェアトレードのイメージは・・・
公正さ?
チョコレート?
雑貨?
かわいい?
などだろうか・・・。

かつて私が抱いていたイメージは、「(金額が)高い」だった。


日本におけるフェアトレード 
日本でフェアトレードと言うと、多くの人はフェアトレード商品を連想するのではないか?
少なくともフェアトレードに参加すると聞けば、それよりも多くの人がフェアトレード商品を購入することをイメージするだろう。
本来、フェアトレードは運動であって、販売活動ではないように私は思う。
アンフェアを辞めさせる、公正を求めるという運動であって、購入活動はその中の一つでしかないはずだ。
日本におけるこうしたイメージが出来上がった背景には、業界のけん引役であるピープルツリーの影響が大きいだろう。
企業体だから仕方がないことだが、フェアトレード商品を進めることではなく、フェアトレードと言う言葉を用いて自社製品の販売促進をしていれば、そうしたイメージがついてしまうのも致し方ない。


フェアトレードを買えないことで罪悪感を受ける必要はない
日本では(確か)2000年代にフェアトレード学生ネットワークが立ち上がり、大学生におけるフェアトレード運動が広がってきている。しかし、学生と言うものは元来経済力に限りがある。
中には、フェアトレードと言う概念を支持するものの、日本ではフェアトレード販売活動が主なために、購入できない自分について罪悪感や自己嫌悪を抱く人もいるようだ。


フェアトレードが買えないのは買えないあなたが悪いのではなく、そもそも収入の面で問題がある

フェアトレードを経済的理由で買えない自分がいたときに、ふと立ち返ってもらいたいことがある。
フェアトレードが高いと感じているとき、それはおそらく、他の多くの人にとっても高いと感じるのだろう。
だが、フェアトレードとは本来の公正な金額である。
仮に、その公正な金額の商品にすべての日用品を変えた場合、あなたは生活できるだろうか?
いやできないだろう。
それでは、最低限度の商品をすべてフェアトレードにした場合に、購入できないほどの収入であれば、それは本来収入がアンフェアなのだ。
ただ、それがアンフェアなトレードによって、安価な商品が流入することで見えなくなっているのだ。


アンフェアトレードの最も罪深い点の一つは、世界の最も弱い人々がいびつな世界におけるしわ寄せをこうむっている点だろう。