ここ数年、国内外の社会問題に関わるイベントに参加するときに非常に引っかかることがある。

日本でイベントに参加していると、「日本には寄付文化が育っていない」というような声を聞く。その一方で、海外の社会問題に関わるイベントで聞かれるフレーズは、「寄付する」こと以上に、現状の社会状況が受けいられることができるかどうかであり、それに反している際には、社会正義として取り組むできと言うことだ。

「寄付文化」と言われるように、欧米圏では、寄付は当たり前の行動なのかもしれないが、それは寄付をしたいという文化」があるのではなく、「社会問題に対する問題意識や深刻な状況にある人への社会的共感が強く、問題を社会として放置しちゃいけない」という思いが強いからなのではないか。
アメリカにおける公民権運動にしても、ウーマンリブにしても、決して寄付だけが唯一の行為ではなく、姿勢を示すこと、具体的には、意思表明、署名、パレードへの参加など所得に関係のない多様な参加のあり方があった。

私たち自身のことを振り返ってもわかることがある。そもそも、私たちが寄付をする場合も、寄付という行為をしたいから寄付をするのではなく、問題を解決したかったり、その活動に取り組んでいる人を応援したいからではないのか?

すなわち、私たちが「寄付文化」と言うときに、考えなければならないことは、寄付という行為ではなく、その動機となる社会問題に対する日本社会にある認識や共感性ではないかと考える。

昨今のソーシャル・ビジネスや社会企業ブームも目的から手段へと視点をずらすことを助長しているように感じる。まるで、単純な寄付による活動が全うではないようなイメージも広がってしまうのではないかと危惧している。
英国でも、米国でも、社会企業が盛んな地域は、同様に寄付も十分に行われ、何よりも、社会問題を一人ひとりが主体的になって解決しなければならないという姿勢が強い。

根本的な姿勢として、社会問題に対する姿勢やその姿勢を表す手段として寄付だけでない行為の選択肢を増やすことが重要だ。

もしあなたが社会問題に関わる方であり、社会問題を見た時に、「ありえない」「おかしい」と憤ることより先に、どう支援にお金が回せるのかを考えてしまうことが多くなっているのであれば、それは非常に怖い社会だろう。

もちろん、寄付をしようと言う人が多い方が社会問題の解決には近づく。寄付をしようとする人が増えることはよいことだ。ただ、寄付が出来なければ活動に参加できないと思われたり、おカネがないといけないというような考えが広がってしまうのであれば、それは望ましくない。社会問題に対する姿勢を示す機会としておカネ以外のアプローチを提示していくこと「も」私たちの役割だと考える。 

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(Photo by MIKI Yoshihito